ドーンコーラス(グレイトティットのせい) ハナさんのショートストーリー

カントリーサイド

今、わたしたちは、この家で7度目の春になります。

7度目の春にやろうと思っていますが、まだ出来ていないこと、それは、家族のみんなが寝ている間に、鳥たちの早朝の大合唱、つまり夜明けのコーラスという意味のドーンコーラスを聞きに5月の森の中へこっそりと行くことです。

幼い子供たち、小さな体、浅い寝息、不眠症の夫、みんなが寝ているわが家の大切な静かな落ち着いた時間。

わたしが森へ行くことでこの静けさを壊してしまうという考えが、たとえたった一日の朝だったとしても、リスクが大きすぎるように思えるのです。

ところが、ドーンコーラスの方から私たちの方へ来てくれました。

ラブソングのつるが、わずかに開いた窓から流れ入り、ベッドルームの隅々まで音色とトリルで満たし、遮光ブラインドの縁からもするりと入って、少し開いた口、ふっくらとした頬、ふとんからはみ出した足のまわりを興奮気味にダンスしています。

午前4時43分。

息子がぼんやりした目でベッドルームにあらわれました。

彼が、布団から布団まで急いで、ペタペタ足音をたてつつ廊下をやってくるのが聞こえました。

小さな電灯を持っていましたが、必要ありませんでした。

うっすらとかすんだバター色がかったグレイな夜明けの光がカーテンから差し込んでいて、十分見えていたからです。

この時間帯に彼が部屋からわたしのところへ来るのは初めてではありません。

野鳥たちが彼を目覚めさせたのだろう。

案の定、わたしも起きると、カーテンの向こう側のバック・ガーデンからにぎやかすぎるほどのさえずりが聞こえています。

甲高い声、8分音符や16分音符の入り混じる音楽がひびいていました。

野鳥たちは、早朝の弱い日差しの中での歌声に我を忘れているようです。

本当の愛を告白し、守り、誇っています。

息子につぶやくようにあいさつすると、彼はわたしのベッドサイドに登ってきました。

小さい懐中電灯は消されました。

息子が自然と眠りへと戻っていくまでしばらくかかります。

彼の落ち着かない様子が伝わってきます。

わたしは、半分眠っている感じで、夢を見ているのではなく、夢のような感じです。

わたしは、バスケットが編まれるように流れるドーンコーラスを聞いています。

編み糸が上へ、下へ、そしてまた、上へと編まれるように音の糸が鳴っています。

もうひとつの野鳥の歌声、クリアーな、純粋な、真っ直ぐな響きとなって異なる糸となり、スポークを作っています。

夢の中の脳は、歌声の糸が容器-バスケット、ボウル、巣-となって、丸くなり、ずっと編んでいるのを見ています。

ブナの殻と同じくらい小さな歌声のボウルを手のひらにのせているのをイメージしています。

もう一方の手を小さなボウルにかぶせると、歌声は次第に小さくなり、消えていきました。

おそらく、眠りへ戻ろうか、さまよっていました。

半分目を覚ました脳は、ガーデン・ソングの糸をほぐそうとしています。

わたしは、最近、鳥のさえずりスマホのアプリを使って学んでいます。

ロビンのもの欲しそうな声、きしむマットレスで飛び跳ねているような音、知らない鳥の声、モリバトの深い低音の声も聞こえてきます。

モリバトの鳴き声はいつも遠くから聞こえているようですね。

ずっと続くバックコーラスのようで、いつも聞こえているので、ときどき聞きもらしてしまいます。

チッフ-チャフ-チッフ-チャフ-チッフ-チャフ、知っている声だ。

ティンガリンガティンガリンガリンガーミソサザイだ。

ごぼごぼ、ぽこぽこという歌、ムシクイのたぐいだろうか?

ドーンコーラスは、刺激過度のように聞こえます。

4歳児のクラス全員が一斉にできる限り大きな音で楽器を鳴らしているようなもの。

先生のブラックバードは、クラスみんなで音を合わせて演奏することはあきらめ、騒音をこえて大きく、クリアーに歌うことをあてにし、洗練されたパフォーマンスへみんなを高めようとしています。

わたしは、野鳥ごとの声を聞きわけようと、ミサンガをつくるときに広げた指の間で糸の束をもつときのように、でも、眠気のあるなかでは、歌の糸をゆるめてしまい、あの音の壁のなかで再びこんがらがってしまいました。

小さな娘はわたしの反対側で眠ったまま、すべてのまつ毛と手首のしわ、まばらな灰色の光のなかでぼんやりと見えます。

娘は、ちょっと目を覚まし、「マミー、エエーオオ-エエ-オオ-エエ-オオって何?」と言ったので、「グレイト・ティットだと思うよ、ベイビー」と言うと、眠りに戻っていきました。

息子が起きたのはグレイト・ティットのせいにしています。

バックグラウンド・サウンドスケープをはねのけ、ドーンコーラスを要求アラートやアテンションに変えてしまうのは、いつもグレイト・ティットのおそろしいほどの音色でした。

数年前、息子が赤ちゃんだったとき、寝不足でくたくたに疲れきっていました。

その状況は、非常に悪く、わたしは極度の疲れから病気になりました。

息子のベッドルームの窓の雨どいで一日を始めるグレイトティットがいて、次第に明るくなっていく夜明けにティーチャーティーチャーティーチャーティーと叫び、ホワイトノイズマシンの働きぶりを切り裂いて、そのころ、ようやく落ち着いていた幼い息子にとにかく眠りは安泰ではないと言い聞かせているようでした。

涙と落ち着かせること、懇願することのサイクルが再び始まり、母親であることの一部分であると想像もしていなかった怒りと落胆の感情が湧き上がってくるのでした。

みなさん、わたしはあのグレイトティットを狩りたいと思ってしまいました。

しかし、気づかずに眠り続けた数えきれないほどのドーンコーラスもありました。

寝ている間に響くあふれる歌声。

静まりかえった空気のなかで昔からお気に入りの野鳥たちが歌う豊かな声。

シーツと枕にこもって響くアリア。

新しく新鮮な朝、わたしの枕は、頭の下でふかふかでラブリーです。

重いまぶたも。

くちばしを開き、斜め上を向いて(歌うためで、あくびではないよ)、やわらかくふわふわしたのどを震わせて歌っている鳥たちを心の中に描きます。

わたしは、両脇の子どもたちと一日が始まる前、あと一時間ほど休むために、また眠りへと落ちていきます。

ハナより

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