ネイチャーメモリーズ 自然を愛する気持ちはどこから来るのだろう ハナさんより

カントリーサイド

先日募集した子どものときの自然でのすてきな思い出話をたくさんお寄せいただき、本当にありがとうございました。

とても美しい読み物でした。

みなさんのたくさんの思い出が、とても詳細に、人のあらゆる感覚に残っているものであること、そして、父親と祖父が登場するものの多さに衝撃をうけました。

この写真は、姉と父と一緒にオークニー諸島へバードウォッチングに行った時のものです。

わたし自身の自然との思い出、そして、みなさんの話を読んでの感想を書いてみました。

ネイチャー・メモリーズ (Nature Memories)

自然を愛する気持ちはどこから来るのだろう

子どものときのあの時をテーマにいろいろと描いてみようと思っています。

たぶん、子どもたちと一緒にいる日々を過ごしているので必然とそう思ったのかもしれません。

小さな子どもたちが、絵の中に知らず知らずの内にいると、子どもたちが気づいていることを再びわたしが気づくことになりました。

わたしも母親になって大きく変わり、描いている絵も変化したと感じています。

わたしは、頭がいっぱいになっているものを描きたいと思っています。
(みんなさんもご存知のように、小さな子どもたちは、あらゆる方法でわたしたちの力の源を使い果たしていきます)

わたしは、まさに”ママの時期”にいます。

この時期が好きだし、愛おしいです。

絵の中に子どもたちが表れるのは、納得のいくことだと思っています。

ママになり、自分自身の子どものころのことを考えるようになりました。

これは、ときどきくじかれた思いとなることですが、わたしが20代の頃に両親も叔母も亡くなったことです。

赤ちゃんや幼児のころに興味があったものや性格、わたしが覚えているとおりのなのか、といった細かいことを聞ける人が誰一人としていないのです。

誰もわたしの子どもたちに会っていません。

子どもたちがふざけたりしているのを見かけて、”そうそう、あなたもそうだったね”と言われると、きっと安心するのかもしれません。

わたしのママならすべての些細なことまでも覚えているような気がします。

わたしが本当に覚えていることは、姉とわたしは、外遊びが好きで、わたしは絵を描くことが好きだったことです。
わたしたちは、ラッキーにもカントリーサイドの村で育ちました。

村の子どもたちは、とても大きな自由がありました。

わたしたちは、何時間も何時間も、何から何まで自由に外で遊び、ただ、お茶の時間は家にいなければなりませんでした。

スマホは無く。

世界が危険な場所であるという感は、覚えていませんが、ママが一度、森の中には知らない人が時々隠れていると教えてくれたことを覚えています。

彼女が伝えようとしたことは、わたしの生活の中で思い当たることはありませんでした。

ママはふざけて言っているのだと思っていました。(でも、いつか木の陰から半分だけ顔をのぞかせた妖精や男の人を見るのをいつも期待していました)

子どもたちが一日中外で遊ぶことを認めるかは分かりません。

子どもたちは、小さすぎるから、

今はただ、以前はこんな会話があった、ということ。

自由に散策したり、いろいろなものを探したり、迷子になったり、濡れてみたり、泥んこになったりを自力でなんとかしていくことは、子どもたちにとってギフトだと思います。ある日、わたしたちが森で遊んでいたとき、水浸しの泥だらけになり、スニーカーはずぶ濡れになりました。

村から遠く離れたところに来ていました。

帰り道に戻る唯一の道は、とても大きな土手を登ることでした。
滑り落ちずに頂上に到達するのは、達成不可能な偉業のように思えました。

柵を乗り越えて道路に出たときの喜びは、大変なものでした。

その後、お茶の時間に遅れたら大変なことになるとわかっていて、大きな棒をステッキ代わりにして、濡れた靴でとぼとぼと家に帰りました。

疲れ、お腹は空き、そして、ハッピーでした。

こういった子どものときの冒険が、大人になってからもアウトドアが好きな理由の大きなひとつになっていると思います。

わたしが自然好きになったもうひとつの理由は、父のおかげでもあります。

父と叔母は、自然について、特に野鳥についての豊富な知識がありました。

彼らもボーダー地方の村で育ちました(1940年代のスィントン Swinton)

木によじ登り、鳥の巣から卵を採取し、コレクションしていたという驚きの話もありました。
(当然、今は違法です。子供時代の当時の話です。)

その他の驚きの話は、蜂の巣を蹴って走って逃げただとか、迷子になった伝書鳩を回収しようとバーウィックシャー(Berwickshire) を自転車で走りまわっていたというのもありました。

子どものときに経験した自然とのつながりは、大人になったときに人としての本質へと形成されていくのです。

父は、姉とわたしに野鳥と植物に対する情熱を伝えました。

自然での思い出で強く残っていることのひとつは、双眼鏡を持って歩いて出かけた時に父と手をつないだことです。

父がわたしと一緒にバードウォッチングに行きたいと思ってくれていたことをとても誇りに思っていました。

特別な感情でした。

インスタグラムやフェイスブックでみなさんに主な自然体験の思い出についてお尋ねしました。

とても素敵なお便りをいくつもいただきました。

その中で2つのことが見えてきました。

1つ目は、多くの思い出は、父親、もしくは、祖父と関係していることでした。

自然と男性家族との間にとても強いつながりがあることは、興味深いことだと思います。

それは、おそらく、男性の方が伝統的に、アウトドアの知識があり、アウトドアにアクセスしやすかったからだと思いました。

父や祖父に自然の世界を共に知ろうと招待されることは、エキサイティングなことでした。

母や祖母も小さな子どもたちと自然探求に出かけたと思いますが、それは毎日のことなので特別感は薄れていたのだと思います。

それで、父や祖父に子どもの頃、冒険へ連れて行ってもらった時のことが、宝物のような思い出になったのだと思いました。

みなさんはどう思いますか。

もうひとつ気づいたことは、みなさんが分かち合いたい思い出は、多くの場合、具体的で詳細なものであり、人のあらゆる感覚に残っているものでした。

裸足で歩いた岩、ちくちくする芝、温室でのトマトの香り、風になびく髪の毛、日差しを浴びる顔、木からもぎ取ったフルーツの味、鳥の声。

わたしたちの自然での記憶は、すべての感覚を使い残っているので、においや味、音により人生のずっと後になっても記憶を開けることができるのだと思います。

みなさんのストーリーを読んでいると、とても没入している感じがあり、わたしがそこにいて、大きな手を握り、水しぶきをあげ、山を登っていました。

みなさんのストーリーから浮かび上がったテーマ

てんとう虫、枝、巣、潮だまり、タンポポの綿毛、川での小石投げ、森の中にいる、デイジーチェーン(花輪かざり)、干し草の俵を登る、木登り
オタマジャクシ、フクロウのペリット、セイヨウオニフスベ、子ども用プール、ミノウ、コウモリ、花や葉でポーション作り、泥掘り、泥パイ作り、ワイルド・ラズベリーを食す、波

子どもたちは本当にアウトドアが好きだ。

わたしの子どもたちや愛する他の小さな子どもたちをありのままの姿で、世界を探求している姿をシリーズにして描いていこうと計画しています。

仮タイトルは、「ワイルド・チャイルド・コレクション The Wild Child Collection」です。

お楽しみにしていてください。

ハナより

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