英国のカントリーサイドめぐり
パブにて ウィンチェスター Winchester
ウィンチェスター大聖堂に行った時、ランチに入ったパブで、日本人に感謝しているおじさんに会った。
大聖堂の裏路地にあるアイビーが壁にびっしり茂っているパブ。外にもテーブルが6席ほどあり、2組のカップルがランチを食べていた。
中はいっぱいで外にしか席が残っていないかと思いつつドアを開けた。
パブの中にも空席はあった。
天気が良いので外で食べているのかと外を振り返った。外の席にも気を引かれたが、中にあったソファー風の椅子を見ると足はそっちのほうに向かっていた。
パブの中は、中央にカウンターがある。
それを挟んで両側に部屋が1つずつあった。たまたま私が入った側の部屋は人も少なく割りと静かだった。
もうひとつの部屋は、人がたくさん入っていて、立って飲んでいる人の姿も見える。トイレに行ったときに混んでいる理由が分かった。
トイレは、その部屋の奥にあった。
人をかき分け中に進んでいく。部屋の中央にあるテレビでサッカー中継が行われていた。チェルシー対サウサンプトン。ゴール前の攻防になると激が飛び交っていた。
みんなビールを片手に観戦している。
「あっ、もしかして」と思い、ランチが食べられるか不安になった。前に別のパブで夕食を注文した時、「サッカーの試合が行われているから食事は作れない」と断わられたことがあったからだった。気になってカウンターを見ると案の定ビールが飛ぶように売れていた。
席に戻り、メニューを見てチキン・サンドウィッチと紅茶を駄目もとで注文した。店員は、すんなり注文を受け付けてくれた。
食事を待っている間、おじさんが私の方をちらちらと見ている。そして、ときどき笑顔を見せている。見覚えのない人だったので、私に対してではないだろうと思い、横を見ると壁だった。
実は、パブに入った時からカウンターにいるおじさんの視線が気にはなっていた。ビールを片手にこっちを見ているなと思っていた。おじさんと目が合うたびに私も笑顔で返した。
変な人だと思いながらも。 「コミュニティーの場であるパブでは、知らない人同士でも、世間話で盛り上がり仲良くなる。そんな場所がイギリスにはあるのだ」と、イギリスのことを書いた本にあったのを思い出していた。
パブが混んでいる時、ビールなどを注文する際にカウンターで店員を待つことがある。そんな時、私と同じように順番待ちをしている人と話しをすることはよくあることだった。
自分たちのビールが来るまでの間、雑談をする。初めて会ったのに「調子はどうだい」と聞かれて、「いいよ」と言うと、「それは良いことだ、俺も応援しているサッカーチームが勝って調子がいいんだ」と、何気ない話をする。
でも、店員からビールが渡されると「See you」と言ってあっさり別れたものである。
エールがどんな味なのか知りたかったので店員に「苦味が強くなく飲みやすいのはどれですか」などと聞いていた時も、カウンターでビールを飲んでいたおじさんが店員の代わりにエールについて話し始めたこともあった。
そのパブに置かれていた3種類の味の違いを説明してくれた。話し終えるとおじさんは満足気にビールで喉を潤した。 「Cheers mate」 私は、エールについて教えてもらったお礼を言って立ち去った。
旅先で入ったパブでも気軽に会話が始まることは多々あったので、もし、よく行くパブであれば、そのような機会をきっかけに話しが合えば仲良くなるのだろうと思う。
でも、こっちを見ているおじさんは今までと違い、ちょっと不自然な感じがした。だけど、こんなこともあるのかと返す笑顔はひきつりぎみになっていた。
サンドウィッチを食べ終え、紅茶を飲んでいた。さっきまでちらちらと見ていたおじさんがこっちに向かって歩いてくる。紅茶を必死に飲みながら、話しかけるなよ、とオーラを出しているつもりだったが、その甲斐はなかった。
「隣に座ってもいいか」 紅茶をふき出しそうになるのをこらえながら、NOとも言えずにいた。
おじさんはビールの入ったパイントグラスを持ったまま私の前に座った。
ビールで頬が赤らみほろ酔い加減のおじさんは、あいさつをしてきた。 「何か用ですか」と聞こうと思ってやめた。でも、知らないおじさんに対して警戒している態度になっていたと思う。
おじさんはそんな私の様子には慣れている様子だった。
「日本人をよく見かけるよ。学生も多い。僕は、日本が好きなのだ。日本人に会うと話しかけるのだけど、シャイな人が多いね。でも、イギリス人もシャイな性格だからよく分かるよ」
おじさんが何を言いたいのか分からなかった。ただの酔っぱらいなら話しを聞くのはもうやめようかと思った。
サッカーの試合がハーフタイムに入ったらしく、向こう側の部屋から人がこっちに流れてきた。その中にいたおじさんの知人が、「サウサンプトンが0-1で負けているよ」とがっかりした顔で言って通り過ぎていった。おじさんは興味なさそうに生返事していた。
「僕は、サッカーは好きではない。イギリス人はおかしいよ。サッカーのことになると仕事もせずに観戦し、騒ぎ立てる。ビールを飲みながら、狂ったように応援をするなんてクレイジーとしか言いようがない」
おじさんのサッカー論は、私にとって関心のあることではなかった。
不快感がさらに募っていくのが、自分でも分かり早くこの場を立ち去ろう、本題があるなら早く話してほしいと思った。おじさんの話を黙って聞いていた。
すると、おじさんは話題を変え、別の話を始めた。
おじさんの話では、彼の母親は数十年前に日本に行き、今も日本で暮している。ただ、母親は行ったきり、一度もイギリスには帰って来てない。連絡も今はないのだそうだ。
「日本にどうして行ったのですか」 と尋ねると 「何のために行ったのか。日本のどこに行ったのか。はっきりとは覚えていないのだよ。」
話の意図がすぐに掴めなかった。紅茶を一口飲んだ。話を整理して聞く必要があった。おじさんの話は続く。
「数十年前に母は日本へ渡り、今も日本に住んでいることだけは確かなのだ。でも、何十年も連絡が途絶えているのは絶対におかしいと思う。僕は、何度も母に会うために日本に行こうとした。心配だからね。
だけど、僕はずっと前から心臓に持病を持っているため、飛行機に乗ることができない。残念でならなかった。治ったら行こうと思い、治療に専念していたのだが、この病は治りそうにないことが最近分かったのだよ。
この先、僕が日本に行くことはたぶんできないだろう。もしかしたら、死ぬまで母に会うことができないかもしれない。そう思うと辛かった。
それで、日本人を見るとお礼を言うことにしたのだよ。今では、日本人を見るとお礼を言いたくてしょうがなくなる。母をよろしく頼むという気持ちでね。
あなたがこのパブに入って来たときもすぐに日本人だと分かったよ。ずっと、いつお礼を言おうか、伺っていたのだよ。 日本のみなさんに母はお世話になっている。
本当は、僕が母の世話をしたいけど、情けないことに体が弱いからできない。日本のみなさんに頼むしかないのだよ。母が無事に暮しているならば、それはみなさんのおかげだと思うから、本当に感謝しているのだよ」
そう言っておじさんは、どこで日本人に教えてもらったのか、両手を合わせて何度も 「Thank you, Thank you」 を繰り返した。
パブを出る時、はずかしそうにあいさつするおじさんの息子夫婦と握手をした。まだ、サッカーの試合は続いているらしく、TV観戦している人たちのざわめきが聞こえている。おじさんは見送りに出てきてくれた。そして、握手を交わしたとき、笑顔でつぶやいた。
「Promise(約束)」